やっほー!Eri です

クルー + YouTuber + ブロガー

簡単な経歴

ホテルの専門学校を卒業したのち、”新しいリゾートを創る”てきなコンセプトで、沖縄にリゾートを計画していた会社に入社。

行ったことのない沖縄に住み、プレハブ小屋みたいなオフィスの開業準備室で働き始める。

これを仕掛けた親会社から、月に数度、仕事できまっせーみたいな人達が来て、その人たちと会議に出席したり、ホテルを経験してきた恐らくすごい人たちと時間を過ごし、アメリカ留学をしてきた”イケイケ帰国子女”と友達になったり、本当に色んな人の影響を受けて「埼玉から出て、沖縄にきただけでこんなに色んな人達がいるんだから、世界に行ったらすごいのが待ってるぞ!」と、ホテルが開業したら、会社を辞めて海外留学をしようと決める。

しかしながら、リーマンショックの影響をもろに受け、新卒で入った会社はホテルをオープンさせることなく倒産。

悲しかったが、既に留学というやりたいことがあったので途方に暮れることはなかった。

解雇から半年後、両親の多大な支援を受けてワーキングホリデーで、カナダのバンクーバーへ!

英語力1だったので、すごく大変だったけど、日本人と友達に(あまり)ならないという目標を、結構達成できたお陰で英語はレベル1から格段に上がった。

ある日バンクーバーの港に停泊しているクルーズ客船を見て、英語を習得したらクルーズ客船で働きたいという新しい夢が出来る。(沖縄で働いていた時に、船で働いてた上司がいたのだが、そのときは全く興味がなかった)

カナダのワーホリビザを観光ビザに延長して、合計1年5カ月バンクーバーに滞在し日本に帰国。

少し上がった英語力を武器に、クルーズ客船での仕事を探し始める。

今に比べて全く情報がなく、インターネットでやっとみつけたのが、クルーズ客船のインターンシップとして働くというものだった。

50万くらいもろもろ支払うけど、€1200/月 当時で15万くらいの月収が入って、なおかつ8か月働く予定だったので、元が取れればオーケーとそのインターンシップに申し込み、どのくらい申込者がいたのか不明だが見事合格。

ギリシャ船籍のクルーズ客船で、8カ月インターンシップをする。

船の良いところより悪いところがそのときには目立って見えて、翌年も働かない?と誘われたが断り、東京で英語を使う仕事に就く。

埼玉ー東京の通勤だけでかなり消耗しまくってるときに、船って通勤ないし、いろんなとこ行けるし、最高じゃん!と船の良さを思い出し、船での仕事を探し始めるが、違うクルーズ客船で働いてみたかったので、またインターネットで情報をかき集める。

そのとき出会ったのが、アメリカ最大のクルーズ客船会社の日本支社のホームページ。

そこに、クルーズ客船で働きたい人はレジュメを送ってね!と書いてあったのでさっそく送る。

約1か月後にアメリカの本社から連絡が来て、スカイプにて面接→合格。

アメリカのクルーズ客船会社のフロントデスクスタッフとして働き始める。

1年半後、色々あって仕事を離れることに。

そしてまた日本で働く。

ここで人生の色々な葛藤があったりしたが、うーん、やっぱクルーズ客船っしょ!

と、またクルーズ客船で働きたいと思い、探していく中で、ご縁があって、6つ星のラグジュアリー客船で働けることに。

今までで1番楽しいクルーズライフを送る。

世界各国を回る船だったので、本当に色んな都市に行けた。さらに2カ月の休暇には、海外旅行をしていたので、訪れた国は80か国以上になった。わーい。

一生続けたいが、結婚や出産も経験したいな、、、というところでコロナくん登場。

実は新造船をオープンさせるメンバーに入っていたのだが、どうなることやら。

ここで国際結婚もするところだが、コロナくんが国境を阻む。

船が再開して、呼ばれたら、もう1コントラクト船でやるか?結婚して落ち着いてクルーズ客船の素晴らしさを伝える方にまわって、クルーズ客船を趣味としてお客さんとして楽しんでいこうか、、、。

という人生です。今のところ。

現在は、コロナで8カ月会えてなかった婚約者のいるブラジルから、クルーズ客船、海外旅行を中心に情報発信中。

プチ・ノマドライフ!

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Brazil

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現在のチャレンジ

デジタルノマドワーカーとして生計を立てられるよう猛進中。

世界各国で生活をしながら、その土地の情報 + クルーズ情報をお届けしていきます。

一つの場所に縛られずに生きていくのが今の夢。